【お母様へ 「善人のたちの葬列」】

query_builder 2025/09/24
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先月、お母さまを亡くされた利用者さま・・・

ご本人も「ふーが」の利用者さまであり、執筆に長けていて、私たちにも手記を共有させていただいております。

以前「ふーが」への温かい言葉をいただいたので、ブログの載せて頂きました。

利用者さまの温かさが伝わってきます。


今回も、 <抜粋して載せさせていただきます>


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「善人たちの葬列」


母を看取った。


夜中の3時に知らせを受けて病院へ駆けつけたが、間に合わなかった。  

老木が枯れるごとく、尊く穏やかな大往生———我が母ながら実にあっぱれであった。  

享年96歳。


だが正直まだ信じられない。お骨は家に安置してあるが、母はまだ病院にいるような気がしてならない。目の前のお骨と病院のベッドに寝ている母のイメージが乖離してしまっている。 母の介護から葬儀に至るまで、同居の私がひとりで担ってきた。

ワンオペ〟も慣れれば別に不満はなく、日々目の前のことを淡々とこなし、与えられた環境で生活するのに精一杯の毎日だった。

これも偏に訪問看護ステーションふーがさんをはじめ、往診の先生、介護職の皆さんの支えがなかったら、とてもひとりでは肉体的・精神的にもたなかったことは言うまでもない。


母が要介護になり、介護離職して4年——目を離せなくなった状態(要介護5)から丸1年。  介護期間は実際の年数よりもはるかに長く———10年ぐらい介護していたように感じる。 灯ったロウソクがだんだん短くなり、子どもに還っていくような母には、笑顔や笑い———さしずめ飼い猫や赤ちゃんに対するのと同じような明るい声かけで接してきた。

ただ———死というものは本当にあっけないものだとつくづく感じる。


「刹那(せつな)」というのは極めて短い時間・瞬間という意味の言葉だそうだが、大自然のなかの人生のはかなさをよく表している。  あるいは介護の重責が取れたぶん、余計にあっけなく感じるのかもしれない。


時間の経過でなまなましい臨終の悲痛は薄らぐだろうが、逆に追憶の念は深まるだろう。

「死は人生の終末ではない。  生涯の完成だ」

                マルティン・ルターの言葉である。


柝の音とともに〝生涯〟という檜舞台の緞帳を下ろした母———楽屋に戻ってご先祖や幼友達との話に花を咲かせてくれたら・・・・・・


性善説と性悪説———古くからの議論だが、生きている人間に善や悪(あるいはその両面)はあるとしても、死はすべての人間を善に変え、死者は生前の善悪を問わず、一律に善に帰するのではないか———。  

「帰善説」といってはおこがましいが、母を偲びながら、ささやかなセンチメンタリズムに浸っている。


宗教には縁がないが、

「死=無」

ではせつなすぎるならば、せめて

「死=善」  

と思い、生きている私たちは〝善の気〟にあやかって、亡き人のぶんまで穏やかに過ごしていきたいと思う次第。


宗教・宗派を超えて、葬儀や法事というものは〝俗人〟にすこしだけ「善」の気を浴びさせてくれる貴重なライフイベントなのかもしれない。    

介護をともに闘った戦友の母へ———バ◯リースで、献杯。  


本当にお疲れさま。  


そして・・・・・・・・・・・・ありがとう。


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誰にも必ず終わりがあります。

「死=善」

なんだかとても救われる気持ちになります。


どうぞ安らかに

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訪問看護ステーションふーが

住所:埼玉県所沢市中富南4-1-2

エステシティ所沢

センタースクエア2号棟103

電話番号:04-2937-6651

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